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大阪高等裁判所 昭和59年(う)630号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人篠田健一、同武川襄作成の各控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官小林秀春作成の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意書中、訴訟手続の法令違反の主張(弁護人篠田健一の控訴趣意第一、第二及び弁護人武川襄の控訴趣意一)について

論旨は要するに、原判決には後記一ないし四の訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというので、記録を調査して検討する。

一  刑訴法二八九条違反の主張について

所論は、本件が必要的弁護事件であるのに、原審(差戻後の第一審をいう。以下同じ。)が、弁護人不在のまま第一〇回(一部)、第一一回、第一二回及び第一五回各公判期日において実質管理を行っているのは、刑訴法二八九条に違反するというので、以下判断する。

1  本件の審理経過

昭和五七年一〇月一八日から昭和五九年二月七日まで、一六回にわたる公判期日を要した本件の原審における審理経過は、原判決が詳細に摘示するとおりであるが、記録によると、その概略は次のとおりである。

被告人は、昭和五八年一〇月一八日保釈取消により収監されるまでは、弁護人選任に関する照会書、国選弁護人選任通知書、公判期日の召喚状などの受取りを拒否し続け、郵便による送達のほか封書により送付した各書面も未開封のまま返送するなどして、公判期日には一度も出頭せず、何ら疎明資料を添付することなく、病気あるいは私選弁護人の選任などを理由として公判期日の変更申立を繰り返した。

他方、原審当初の国選弁護人野村裕、篠田健一の両名は第一回公判期日に出廷したが、準備不十分であるとして公判期日の変更を申請し、その後は裁判所に対し、「差戻し前の第一審が当初選任した被告人が主張してやまない飲酒癖のある国選弁護人の弁護活動をめぐる問題の決着と予断・偏見を抱いた担当裁判官の交替を求める」旨の意見書などを提出したまま、第五回公判期日まで無断であるいは公判期日の変更申請書を提出しただけで不出頭を重ねたため、審理は何ら行われず、結局、期日はすべて変更された。

そこで、原審は滋賀弁護士会に対し刑訴規則三〇三条二項により正当な理由のない不出廷を重ねた国選弁護人両名に対する適当な処置を求めたところ、同弁護士会が北川和夫及び遠藤幸太郎弁護士を国選弁護人として推薦して来たため、原審は両弁護士を本件の国選弁護人に選任し、かねて辞任届を提出していた野村及び篠田の両国選弁護人を解任した。

そして、第六回公判期日には、その直前に被告人が新しく選任された二人の国選弁護人に対し、出廷妨害の行為(その内容は後記3で述べる。)に及んだが、遠藤弁護人は敢えて出廷し、北川弁護人は出廷しなかった(この期日も審理なし。)。遠藤弁護人は第六回公判期日の後に保釈取消により収監されていた被告人に面会を求めたが拒絶されるとともに、その後選任された私選弁護人からも暗に出廷しないように言われている。被告人は、第七回公判期日を前にした昭和五八年一〇月一八日に、正当な理由がなく公判期日に出頭しなかったことを理由に保釈を取り消されるや、差戻し前の第一審や第一次控訴審の審理に関与した武川襄弁護士及び先に原審の国選弁護人を解任された篠田健一弁護士を私選弁護人に選任したが、原審は私選弁護人両名の辞任や解任の事態を慮って国選の北川、遠藤両弁護人を解任しなかった。

第七回及び第八回公判期日には、勾留中の被告人と私選弁護人のうち一名が出頭して、人定質問に引き続き公判手続の更新が行われ、第九回公判期日には、被告人と二人の私選弁護人が出頭して更新手続が続行されていたところ、武川弁護人が中途で退廷し、これに伴い、被告人と篠田弁護人が私選弁護人の一人が不在になったことを理由に審理の中止を強硬に要求したため、原審は審理を中断し、次回期日を追って指定とした。

その後、原審は第一〇回公判期日を指定するため、私選弁護人両名との接触を求めたがなかなか果せず、昭和五八年一二月一九日ようやく検察官、私選弁護人二名、国選の遠藤弁護人を交えた打合わせが持たれた。その際、二人の私選弁護人の都合がそろっていなければ期日を受けることができない旨主張したので、期日の指定が難航し、引き続き一二月中に数回打合わせがなされたが、期日を指定するまでには至らなかった。そこで、検察官は、「私選弁護人両名が被告人の審理引き伸ばしに同調していることは明らかであるから、国選の遠藤弁護人の出廷可能日に準拠して期日を一括指定されたい」旨の意見書を裁判所へ提出し、原審は国選弁護人の都合を聴いたうえ、私選弁護人の申出日二日を含む九期日を一括指定した。

第一〇回公判期日には、私選弁護人両名は出頭したが、被告人は出廷せず、原審は所要の手続を経たうえ、刑訴法二八六条の二の出廷拒否に該当すると判断し(以後の毎開廷とも同じ。)、開廷したところ、篠田弁護人が原審の期日一括指定に抗議し、裁判官忌避の申立(簡易却下)をしたうえ、私選弁護人両名は、裁判長の在廷命令を無視して退廷した。そこで、原審は国選の遠藤弁護人に急遽出廷を求めたが叶わず、やむなく弁護人不在のまま当日予定されていた公判手続の更新を行った。

その後、原審は被告人及び弁護人に対し、前回の第一〇回公判調書謄本を送付し(以後、弁護人不在廷の期日について同様の措置をとる。)たうえ、既に指定済の第一一回、第一二回各公判期日とも被告人及び弁護人不在のまま、予定通り更新手続を続け、第一三回公判期日は被告人の供述を求める予定であったが、被告人及び弁護人の不出頭のため空転した。第一四回公判期日には、被告人は相変わらず出廷を拒否したが、私選弁護人両名の立ち会いの下で被告人の身上調査回答書及び前科調書の取調べがなされた。しかし、続いて両私選弁護人は第一〇回公判調書の記載に対する異議申立や裁判官忌避の申立(簡易却下)をした後、被害者の再尋問の請求等を検討中であるとして昭和五九年二月中に指定された各期日の取消を求めたが、希望する証人調べが容れられないとわかるや、裁判長の在廷命令を無視して退廷した。その後も、被告人及び各弁護人が出頭しないまま、第一五回公判期日には不出頭の証人(被告人の妻)の採用取消及び申請却下と論告求刑が行われて結審となり、第一六回公判期日には原判決が宣告された。

そしてこの間、被告人は公判期日の不出頭や出廷拒否を重ねただけでなく、執拗に裁判官忌避の申立(一二回)や管轄移転の請求(二回)を繰り返して行った。

なお、差戻し前の第一審の審理経過については、差戻し前の第一審判決が詳細に摘示するとおりであるが、昭和四四年四月二一日から昭和五四年三月八日までの約一〇年間にわたり、二七回の公判期日が開かれ、被告人は、原審におけると同じく、公判期日の不出頭や勾引状の執行不能による出廷拒否を重ねながら、裁判官忌避の申立(一八回)、書記官忌避の申立(一回)、管轄移転の請求(一三回)を繰り返すとともに、国選弁護人に対して公判期日への不出頭を要求し、またいわれのない非難を浴びせたうえ、その解任を請求したため、結局、合計八名の国選弁護人が差戻し前の第一審の審理に関与するなど異常な審理経過を示している。

2  被告人及び私選弁護人の本件審理における態度

被告人は、差戻し前の第一審におけると同様、原審の公判期日においても、保釈取消により収監された当初の三回を除き、一貫して不出頭あるいは出廷拒否を貫くとともに、後記のとおり国選弁護人に対しては暴行・脅迫を加えて公判期日への不出頭と辞任を強要し、時期を見ては私選弁護人を選任して自らの意向に沿った訴訟活動を行わせながら、常軌を逸した審理の引き延ばしひいては裁判拒否の態度を取り続けた。

原審における私選弁護人の武川弁護士は、本件差戻し前第一審の国選弁護人に選任されたが、被告人との信頼関係の欠如を理由に辞任届を提出し、裁判所から解任されていないのに、差戻し判決で違法とされた差戻し前第一審の第二六回公判期日に出頭しなかった。その後、同弁護士は第一次控訴審で被告人から私選弁護人に選任されたが、被告人の解任請求を受けるや、またもや信頼関係の欠如を理由に辞任している。他方、原審における私選弁護人の篠田弁護士は当初原審の国選弁護人に選任されていたが、原審裁判官の審理に協力できないことなどを理由に辞任届を提出し、そのころ裁判所により国選弁護人を解任されている。

ところが、両弁護士は被告人が昭和五八年一〇月一八日に保釈を取り消された直後に、相次いで原審の私選弁護人に選任されて、再び本件の審理に関与するに至ったが(もっとも、武川弁護人は第七回公判期日において一週間後の次回期日を受けた時点で、いったんは被告人により解任されたが、その後右解任は誤解によるものとして撤回されている。)、両弁護人はこのようないきさつから被告人の審理引き延ばしや裁判拒否の態度を熟知していながら、常に両弁護人の同時在廷を要求して期日指定を困難にしたうえ、原判決摘示のとおり無断退廷や正当な理由のない不出廷、裁判官忌避の申立などを繰り返して行っているのである。このような事実関係に徴すると、両弁護人は被告人の審理阻止の行動を容認し、これに同調していたものと認めざるを得ない。

3  被告人の国選弁護人に対する行動

北川和夫及び遠藤幸太郎の両弁護士は前記のとおり原審の第六回公判期日前に国選弁護人に選任され、武川、篠田の両私選弁護人が選任された後も裁判所から解任されないままその地位に止まっていた。

しかし、やがて北川弁護人は被告人から受けた脅迫的言動を訴える上申書を裁判所へ提出している。その大要を記すと、「被告人はかねてから電話で『わしの許可なくして法廷に出るな。』などと強請したり、私が不在中に自宅へ押しかけて、約四時間にもわたり、妻子に対し、『おやじが法廷に出ないように言っておけ。』などと執拗に迫り、その後も第六回公判期日を間近に控えた九月一八日午後九時半ころ、電話で妻に対し、『裁判になればわしの家族も不幸になるが、お前とこの家族の両手がそのままあると思っていたら大間違いやぞ。』などと脅迫した。被告人は、更に同日午後一〇時半ころ、私の自宅に押しかけて来て、いきなり私の胸倉をつかまえ(このため私のシャツのボタン四個が飛散した。)、『今日はケリをつけてやるから外へ出ろ。』などと強要し、戸外で翌日の午前一時ころまで、家族に対するのと同様の脅迫を加えて、出廷を断念するよう強請された。その際私の身を案じて駆けつけた遠藤弁護人に対しても午前二時半ころまで、私に対すると同様の脅迫的言辞により出廷を断念させようとした。さらに被告人は、第六回公判期日の前日である同月二一日午前九時ころ、私に対し電話で出廷しないよう先日と同じ強請を繰り返し、また同日夕方、遠藤弁護人を事務所に訪れて同じ強請をした。そこでこのままでは家族の身の安全も保障できないので、辞任を決意した。」というものである。

そしてもうひとりの国選の遠藤弁護人も公判期日への不出頭に際し、裁判所宛の上申書で、「被告人から、公判に出頭するなら私や家族の身体に危害を加えると脅迫されて辞任を強要された。そして、私の家族に対しても、同様の脅迫電話があった。被告人が私選弁護人を選任しているのに、自分が出頭して被告人の意に反する訴訟手続を進行させたら、被告人が激高して、私や家族に対する脅迫の言辞が現実化することが危惧され、彼ならば本気で実行に移すかも知れないとの不安を抑えることができない。」旨述べている。

このように、被告人は必ずしも自己の意のままにならない国選の各弁護人に対しては、暴行や脅迫を加えてまで両弁護人の公判期日への出頭を阻止しようとしていたもので、被告人の審理妨害の意図は余りにも明白といわなければならない。

4  弁護人不在のまま行われた本件審理について

以上のような経緯で私選弁護人と国選弁護人がそれぞれ無断退廷や不出頭を繰り返す中で、原審は弁護人が在廷しないまま、第一〇回(途中から)ないし第一二回及び第一五回の各公判期日に実質審理を行い、第一六回公判期日に判決を宣告するに至っている。

本件が刑訴法二八九条所定の必要的弁護事件である以上、原則として弁護人不在のままで実質審理を行えないことはいうまでもない。しかし、いかなる場合にも、この原則を貫徹するときには、訴訟の進行は裁判所の手を離れて、被告人や弁護人の恣意的な対応に左右される事態が生ずるという現実を否定することはできない。本件はまさに被告人と私選弁護人が必要的弁護制度を逆手に取って、自らの意のままに訴訟の進行を支配しようとした極めて稀な事例であったと認められる。すなわち、前記第一の一の1ないし3で述べて来たように、被告人は終始審理の引き延ばし、ひいては裁判拒否の態度を取り続けていたものであり、各私選弁護人は被告人のかかる不当な態度を熟知していながら、被告人の恣意に歩調を合わせた訴訟活動を繰り返したものである。さらに、被告人は、原審が必ずしも被告人の意のままにならない国選弁護人二名を選任するや、前記の如く暴行や脅迫を用いてまでも二人の国選弁護人に辞任を迫り、また公判期日への出頭を阻止しようとしたのである。

このような事態に直面した裁判所がただ手を拱いて被告人や弁護人に審理の行方を委ねていては、刑罰法令を適正迅速に適用実現するという刑事裁判の目的を放棄することになり、裁判の威信を損なう結果となることはいうまでもないところである。勿論、刑訴法二八九条所定の必要的弁護の制度は被告人の利益を擁護するとともに、公判審理の適正を期し、刑罰権の公正な行使を確保するためのものであるから、容易にその例外を認めることは厳に慎まなければならない。それにしても、本件のように、被告人が審理拒否の目的を貫徹するために必要的弁護の制度を楯に取ることなどはもともと刑訴法二八九条の予想していないところである。結局、前記のような本件の審理経過に照らすと、被告人が明らかに訴訟の進行を阻止する目的で、弁護人の出廷を妨げることにより、あるいは弁護人が被告人のこのような意を受けて被告人に同調しこれと一体となって、公判期日に在廷しないことにより、必要的弁護制度を濫用していると認められるのであるから、もはや被告人は同制度による利益の保護を受ける資格を有せず、本件のような事実関係の下において、弁護人不在(被告人に帰責事由があることは明らかである。)のまま行われた原審の当該公判審理は、憲法、刑訴法等の法秩序全体の精神に照らし、刑訴法二八九条適用の除外例として容認されるというべきである(なお、無断退廷を重ねた本件の私選弁護人に対しては刑訴法三四一条を類推適用する余地もある。)。したがって、論旨は理由がない。

二  裁判所法四条違反の主張について

所論は要するに、本件に対する第一次控訴審判決は、差戻し前の第一審が第二六回公判期日において弁護人不在のまま実質審理を行った訴訟手続を刑訴法二八九条に違反するとして破棄しているのであるから、原審が第一五回公判期日において同じく弁護人不在の状態で実質審理を遂げたのは右差戻し判決の判断に抵触し、裁判所法四条に違反する誤りを犯しているというのである。

所論にかんがみ検討すると、まず本件に対する差戻し判決がいかなる場合にも刑訴法二八九条の例外を認めないとまで判断していないことはその判決理由自体から明らかである。すなわち、同判決は差戻し前の弁護人が問題の第二六回公判期日に出頭しなかった理由として、「被告人に出頭を阻止され、あるいは同弁護人が被告人と結託して訴訟の進行阻止を企図したものでもなく」と判示し、弁護人の公判期日への不出頭の理由によっては、刑訴法二八九条が適用されない場合も有り得ることを示唆しているのである。

そして、原審が弁護人不在の状態で実質審理を行った各公判期日において、各国選弁護人が出頭しなかった理由は、前記のとおり被告人からその暴行・脅迫によって出廷を阻止(破棄判決は、差戻し前の第一審の場合につき、「弁護人が公判期日に出頭して弁護を尽くすことを妨げる事情はなかった。」と判示している。)されたからであって、まさに差戻し判決が認めると解される刑訴法二八九条が適用されない例外的な場合に相当し、また各私選弁護人が公判期日への出頭を怠ったり無断で退廷したのは、被告人の訴訟進行阻止の意思を受けてこれに同調したものであって、差戻し判決のいう「結託」と同視し得るから、これも差戻し判決が刑訴法二八九条の適用を留保した場合にあたるというべきである。したがって、原審が弁護人不在のまま第一五回公判期日(なお、第一〇回ないし第一二回公判期日も同様である。)において実質審理を行ったことは、差戻し判決の判断に抵触せず、裁判所法四条に違反しない。論旨は、結局、理由がない。

三  原審の審理方法に関する憲法三一条、三二条、三七条違反等の主張について

所論は要するに、(1)原審裁判官は当初より予断偏見をもって本件審理に臨んでいる。(2)原審は強引な期日の一括指定を行った。(3)原審は公判の更新手続を軽視し、適正手続の履践を怠った。(4)原審は二人の私選弁護人のうち一人が不在のまま審理を強行しようとした。(5)原審は私選弁護人が選任されているのに国選弁護人を解任しなかった。(6)原審裁判官は第一〇回公判期日において弁護人の存在を無視したうえ、弁護人の退廷後には検察官と密談を交しながら審理の続行を図るなどして傍聴の自由を侵害した等の点において、原審の審理方法は私選弁護人の弁護権、被告人の防御権(弁護人選任権)を侵害しているうえ、公平な裁判所の公開裁判の原則に違背していて、憲法三一条、三二条、三七条に違反するというのである。

各所論にかんがみ検討すると、(1)については、記録中に、原審裁判官が予め有罪の心証を抱き偏見をもって本件の審理に当たったと認められるような事情は見当たらない。(2)については、各私選弁護人が公判期日の指定に協力せず、被告人の審理引き伸ばしに同調していたからには、原審が国選弁護人の日程に合わせて期日(私選弁護人の希望日二日を含む。)を一括指定した措置もやむを得ない。(3)については、原審は合計六回の公判期日を公判手続の更新に費やしており、法に従い右の手続を履践していることは明らかである。(4)については、原審は第九回公判期日において更新手続を続行中、私選弁護人のうち一人が退廷したことを理由に期日の続行を求められた際、検察官の反対があったにもかかわらず、期日を追って指定するとし、その後も期日指定にあたり、できる限り両私選弁護人の都合を打診しているのであって、ことさら一方の私選弁護人の弁護権を奪おうとしたような経緯は認められない。(5)については、原審が、私選弁護人の選任後も国選弁護人を解任しなかったのは、それまでの審理経過から、被告人が突如私選弁護人を解任したり、私選弁護人が被告人の訴訟遅延の目的に沿って、定められた公判期日への出頭を怠ったりするような事態を慮ったもので、妥当な措置というべきである。(6)については、記録中には、第一〇回公判期日において、原審裁判官が立会検察官と密談しつつ審理を進めようとしたり、傍聴の自由を侵害するような状況を窺わせるものはない。したがって、原審の審理手続に所論のような憲法三一条、三二条、三七条の違反や違法のかどはなく、論旨は理由がない。

四  審理不尽の主張について

所論はなお、原審が私選及び国選の弁護人のいずれも不在のまま公判手続の更新、証拠調べ、論告等の実質審理を行いつつ、被告人や弁護人から訴訟手続に関する検討、立証や弁論の機会を奪ったもので、それ自体が審理不尽の違法を犯しているという。

本件の公訴事実については、差戻し前の第一審において、各被害者三名につき詳細な証人尋問がなされていて、その段階で事実審理はほぼ完了していたものである。それでもなお、原審は被告人の妻の証人尋問を予定するなどして、弁護人側に立証の機会を与えていたのに、各弁護人が独自の主張に固執して不出頭や無断退廷を繰り返し、自らその機会を放棄し続けたものであり、このような経過にかんがみると、右証人の採用を取り消したうえ結審した原審に審理不尽の違法はない(なお、所論は刑訴法二八九条二項違反を云々するが、前記のような各弁護人の不出頭や無断退廷の経緯から、もはや右規定の適用の余地がないことは明らかである。)。

五  その他、所論が主張する諸点にかんがみ検討しても、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反を見いだすことはできない。論旨は理由がない。

第二  控訴趣意中、事実誤認の主張(弁護人篠田健一の控訴趣意第三及び弁護人武川襄の控訴趣意二)について

論旨は要するに、原判決が原判示一ないし三の事実を肯認した点において事実認定を誤っているというのである。そこで、記録を調査して検討すると、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判示の罪となるべき事実を認めるに十分であり、原判示三の事実について原判決が(被告人の主張に対する判断)の項で説示するところは正当として是認することができる。そこで、以下、原判示一及び二の事実について若干補足して説明する。

原判示一の事実の被害者田端悦子は、差戻し前の第一審の公判廷で、被告人運転のタクシーで大津市内の皇子が丘公園の山道に連れ込まれたうえ、顔面をたたかれて車外に引き降ろされた後も、転倒した状態で路上を引きずられたり足蹴りされた状況を詳細に証言しており、右の犯行自体に関する供述内容に疑わしい点は見当たらず、別のタクシー運転手であった寺村重一の警察官調書が右田端証言の一部を裏付けていることも併せ考慮すると、被告人と同女が揉み合ったり、同女が勝手に転んで怪我をしたかのように言い張る被告人の弁解はとうてい信用できない。そして、同女が受けた傷害の部位や程度を証する医師中嶋秀典作成の各診断書は外部所見による傷害が記載されていて、所論のように被害者の訴えのみを基にしたなどという疑いを容れる余地はない。

原判示二の事実の被害者田中靖也も、差戻し前の第一審の公判廷で、車の運転方法につき被告人から因縁を付けられたうえ、右あごを手拳で殴られたり胸倉を押された状況を明確に証言しているところ、その供述に格別不自然・不合理な点は窺われず、被害者の胸をゆすっただけで、顔面を殴打したことはないとする被告人の弁解は信用できない。

以上のとおりであるから、原判決に何ら事実誤認はなく、論旨は理由がない。

第三  控訴趣意中、量刑不当の主張(弁護人武川襄の控訴趣意三)について

論旨は原判決の量刑不当を主張するので、調査して検討すると、本件は、被告人が常習として、一、自己の運転するタクシーの女性客を山道に連行したうえ、殴る蹴るなどの暴行を加えて加療約二六日間を要する傷害を負わせ、二、タクシーを運転中、他車の運転者の運転方法に因縁を付けて、その顔面を殴打したり胸倉を押し、三、自己の居住するアパートの管理人と口論のうえ、同人の家に土足で上がり込み、ジャンパーをたたき付けたうえ、同人に対して殺すかのような脅し文句を浴びせたという暴力行為等処罰に関する法律違反及び住居侵入の事案である。

被告人は原判決摘示の累犯前科をはじめ、窃盗、傷害、暴行などの多数の懲役や罰金前科を有しながら、またもや同種の粗暴な犯行に及んだものであって、被告人の捜査及び公判段階における対応を通じて見ても、本件犯行に対する反省の色は全く窺えず、各被害者に対する慰藉の措置も全然講じられていないことなどを併せ考慮すると、被告人の刑事責任には重いものがあるといわなければならない。

したがって、各被害者にも被告人の本件各犯行を招くような若干の落ち度や隙が窺われることや被告人の家庭状況など所論指摘の諸事情を考慮しても、原判決の量刑(懲役一年六月)が不当に重いとはいえない。なお、所論は差戻し前の第一審における未決勾留日数中三六五日を算入した原判決の未決算入の程度が過少であるというが、本件審理の経過に照らすと、未決勾留が長期に及んだ原因の大半は被告人の責に帰すべきものであるから、原判決の未決勾留日数算入が少な過ぎて裁量の範囲を逸脱しているともいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条、刑訴法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官内匠和彦 裁判官阿部功 裁判官鈴木正義)

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